毒家族
ファイナンシャルプランナー兼コインランドリー経営のサノです。
僕はの両親は考え方が違う邪見の持ち主であり、妹は全て親に頼りっきりで態度がでかいという毒家族持ちです。親父の口癖は、金がありすぎて死ぬまでに使いきれない、です。
僕ら夫婦は不妊治療をして、子供を授かりました。
もうすぐ子供が生まれる、という時に、不妊治療で貯金を使い果たし、生活がきつくなっているときに、親父に資金援助を求めたことがあります。
妹にはたくさん援助しているのでこちらにもしてくれたっていいだろうという甘い考えがありました。
そしたら親父はこう言いました。妹は仕事をしていなくて、生活が困窮している、援助するのはあたりまえだろう。お前は年収が450万円もあるじゃないか、援助する必要はない。
腹に僕の子供がいるにもかかわらず、親父はこう言いました。
妹には子供がいる。お前には子供がいないじゃないか!
その言葉は一瞬耳を疑いました。子供は腹にいるじゃないか!僕は言いましたが話が伝わりません。
世の中には話が通じない、という人間がいます。仕事をしていてもそういった人間に遭遇することはあるでしょう。
うちの親父がその人間なんです。
毒家族
ファイナンシャルプランナー兼コインランドリー経営のサノです。
僕の毒家族のことを紹介いたします。
この家族のことで今まで随分と苦しい思いをしてきました。
さて、妹ですが、アニメーターになりたいと、短大に進学し、デザインをする仕事に就いた、ということを伝え聞いています。
仕事の人間関係がうまくいかなかったのかすぐにやめました。プライドだけは高いんでしょう。また勉強したいと学校入りなおし、次に鍼灸師の専門学校に行ったそうです。
もちろん、学費は親持ちです。ある日突然、父親に鍼灸師の学校に受かったから学費を出して、という連絡があったそうです。
その鍼灸師の学校で出会った相手と結婚しました。その相手は卒業後、鍼灸師として、お店を経営しました。
妹はその結婚相手の親と暮らし、娘を一人産んだんです。
妹はよく、人のせいにする性格の持ち主です。
中学校のときにいじめを受けたのは親のせい。兄である僕のせい、と。
結婚生活の中でもダンナの親にいじめられている、買い物をすると、買ってきたものをチェックされる、とよく言っていました。
本人が言うと本当にいじめられているんだ、と思ってしまうので不思議ですね。
ダンナに話を聞くと全く話が違うんですよ。
妹は結婚している時に子供がいるから、という理由で全く働いていませんでした。
ダンナのお母さんはすごく気を使っていたんだと今ではわかります。
妹はとんでもなく凶暴で、かつ、一般常識の理解力に乏しいんです。
妹の娘と自分に好意を持ってでも何にしても、注意してくる人間に対してはキバをむいてきます。
ダンナも相当参っていたようです。
ダンナはいっていました。
妹は誰とでもうまくやっていくことはできない、と。
今ではダンナの言った意味がよーくわかります。
平成23年の東日本大震災で、娘とともに実家に住みついた妹。その理由として東京は放射能で危ないから、ということでした。
それもウソだったんですね。本当はダンナのお母さんとうまくいかなかったのでしょう。
避難ということで、僕もしばらくしたら東京に帰るんだろう。と思っていました。娘のことを考えると、父親と母親が一緒にいる状態で暮らしたほうが良いのに決まっているから。
でもいつまでもいるんです。あれから7年。
娘の教育費、生命保険、年金保険、国民年金、健康保険税、車、食事代、光熱費、住む家、
ガソリン代、娘のおもちゃ等、全て親に頼り切っています。娘の習い事でピアノやバレエ
なんかも親持ちでやっていました。
僕の父親はダンナに対して娘の養育費を払え、と何回も言ったらしいです。
養育費は妹に支払われたのかどうか知りませんが、妹は親に一銭も渡してないはずなんです。
こういう生活をしていて、結婚生活が続くわけがなく、まもなく離婚したようです。
妹はその義理の母親のことをいじめてくるとかいっていましたが、本当は妹がとんでもないモンスターだったんです。
なんでこんなモンスターが作られたのか・・・
それは幼少のころからの僕の父親、母親の接し方もらかなり影響しているとおもいます。
僕は高校生の時に、妹を腫れ物に触るように扱っている親に対して言いました。
「妹は将来とんでもない厄介者にらなるぞ、そうなっても俺はなにも面倒なんか見ないぞ」
それが本当になってしまったんです。
続きはまた!
未来は僕らの手の中
ファイナンシャルプランナー兼コインランドリー経営のサノです!
前回、少年時代に吃音に悩まされた、という話をしましたが、当時は吃音、という言葉も知りませんでしたし、原因もわかりませんでした。家庭のストレスは半端なかったですが。
10代でしたし、スマホもインターネットもなかったので、対処法など知る由もなかったです。
ある、一定の言葉が出にくいんです。アイウエオから始まる言葉が出にくかったと思います。
まわりからしてみたら、ふざけてる、とか、なに緊張しているんだとか思うかもしれない
んですが、そうではないんですよねー
で、調子いい時と調子が悪い時があります。調子が悪い時は喉の詰まるような感じがするんですよ。
原因は喉ではなくて、脳内の分泌物の違いなんだということが今ではわかりますが。
セロトニンが少ないとかじゃなかったのかなと今では思います。
この吃音には10年以上悩まされることになります。これが発症してから、勉強ができなくなりましたね!全て家庭環境からきているわけではないのかもしれないけど、そのときの家庭のストレスが原因ということも否定できないんです。
家庭環境のことは前のブログを読んでもらえればわかると思います。
それで、僕は自動車保険に加入するようになって、自損事故で車を壊して
自動車保険を使ったことがあったんですよ。
保険を使うのは初めての経験でした。その時は等級プロテクト特約というのがあって、自動車保険を使っても等級が下がらなかったんです。
これで、いやー保険って便利だなーと。
これが保険に興味を持つきっかけでした。
保険の事務処理をする仕事についてから、保険にのめり込みました。
おもしろいんですよねー約款もすみからすみまで読むのがすきなんですよ。
それから保険の営業をやってみたいと思うようになり、実際に保険の営業をやるようになりました。
吃音を持っているからラクではありませんよ。
営業の本を片っ端から読みました。
お客さんの気持ちを動かして、契約まで持っていく、というのは大変なエネルギーがいります。吃音の方は昔に比べたらだいぶマシにはなりましたが、
まだ苦しいときがありました。毎日かけずりまわりヘトヘトでしたが、成長することはできたかもしれません。
7年ほどで保険の営業はおわりました。悪くはないけど目立った成績は残してはいません。
次に金融商品を売る営業についたのですが、保険に比べれば、ラクといえばラクです。
休みの日も営業にまわり、会社内では数年間常にトップの成績を残していました。
この頃には吃音もだいぶ落ち着いてきたようです。
そして、昨年ですが、県で20位以内に入り、県で表彰を受けることになりました。A3サイズの賞状をもらいました。
この成功体験により、吃音もでなくなったんですよ。
とにかく、言いたいのは、子供の家庭環境は子供にものすごく影響を与えます。
大人の怒鳴り合いのケンカを見せてしまったり、きょうだいで下の子だけを可愛がったり、小さなことかもしれないですが、子供は深いキズを負っていることがあります。
そして、子供はいずれ、親の自分よりも賢くなるんですよ。体力だって自分よりも強くなるときがきます。
子供にバカにした態度をとれば、必ず自分がやられます。
世の中、やったことは自分に返ってくるもんだとおもいます。
そして、努力は結果として出なかったとしても、自分の財産として残るものではないでしょうか。
そう、未来は僕らの手の中、です!
毒家族の中で育った結果
ファイナンシャルプランナー兼コインランドリー経営のサノです
僕の家は、幼少期からケンカが絶えない家で育ちました。
おじいさんとおばあさんは戦争を生き抜いてきた人たちで、僕のことを大変かわいがってくれましたが、僕の親にはとてつもなく厳しかったです。
ちゃぶ台返しは日常的にあり、おじいさんは親をどなりちらしていました。
また、大人たちは近所の人の悪口をよく言っていました。どうも、両隣と仲が悪かったようです。
母親は僕にただまじめにやっていればいいんだ、とよく言っていました。親父は滅多に風呂に入らない人間でした。
そんな状況の中、僕は大変おとなしい子供で、よく近所の子供にいじめられていました。母親のアドバイスに従い、いじめっ子に言い返したら余計にいじめられるという目に会い、母親に不信感を感じていました。
母親にはよくノロマだクズだと言われていました。一方、妹は母親にとってみたらかわいかったようです。
妹は滅多に叱らなかったです。僕が妹の悪いところを指摘すると、逆に僕がめちゃくちゃ怒られるというような感じでした。
それを感じてか、妹は僕に馬鹿にした態度をとるようになっていました。親はそれでも妹を叱るようなことはしませんでした。
幼少の家庭環境は子供に大変な影響を与えます。
小学校になってからは、僕は周りをよく気にする子供になっていて、人の目がひどく気になるんです。人の目が怖いという感じでした。
教師からもそのことでこの子はおかしいというような印象だったと思います。
人の前だとしっかりものが言えなくなるので、教師はみんなの前にもかかわらず、アイウエオ、と言ってみろとか僕に言いました。
小学生になっても母親は僕のことを馬鹿にしていたようでした。あいかわらずノロマだクズだと言っていました。
親への怒りが爆発したのは中学生になってからです。不良みたいな行動をとったりしましたが、人の目が気になる、怖いというのがまだありましたので中途半端でした。
爆発したのは勉強に対してです。ゾーン状態に入ることに成功していました。
親から馬鹿にされていた見返しに、勉強でかなり上位を取るようになっていました。模試で県で20位に入ったこともあります。全て親から馬鹿にされた、今まで馬鹿にしてきた奴らに対しての腹いせです。
僕の成績を見て、親はひっくり返って驚いていました。僕からしてみればザマアミロ、というような感じしか受けませんでした。親のために頑張ったみたいな気持ちは微塵もありませんでした。妹に対してもザマアミロです。妹は今まで甘やかされて育ったのが災いしたのか、成績はものすごい悪かったようでした。
断っておきますが、これは自慢話でもなんでもありません、僕の暗黒の時代の幕開けです。
成績が良くてあまり目立ちませんでしたが、他の友達と壁があると感じるというか、コミュニケーションがとれないなーとうすうす感じておりました。ただ子供でしたので、下ネタ話でごまかして中学時代はおわりました。
問題は高校に入ってからです。コミュニケーションがしっかりとれないというか、吃音が出るようになっていました。原因はいまもわかりませんが、家庭では成績が悪いことで妹は荒れに荒れて、親はオロオロするだけで頼りになりません。父親もです。
権力を持っていたおじいさん、おばあさんも高齢で体力がなくなっています。
家に帰れば荒れ狂ってワガママ放題でこちらをムシしてくる妹がいます。
家庭でのストレスは半端ありません。吃音はこういうストレスから来たのではないかと僕は思っています。
吃音はなったことのある人でないと辛さはわからないと思います。人の前で発言するのが地獄なんです。うまく声を出せないから。
国語や英語の本読みなど、ほんと地獄でした。ほんとに声がうまくだせないんです。意味がわかりませんでした。当然耳鼻咽喉科に行きましたが異常はありません。
15、16、17とそういう状態ですごしました。人のせいにすると怒られそうですが、家庭環境のストレスは半端なく、その影響を受けていたのではないか、と今となっては思います。
その後、営業という仕事に打ち込んでコミュ障を克服するわけですが、家庭環境というのは子供にものすごく影響を与えます。
いま、小さな子供がいる方は、1日に一回ぎゅっと抱きしめて、大好きだよ、と言ってあげてください。
何人かきょうだいがいる人は、年がかなり離れているきょうだいなら別ですが、平等にやると兄弟仲が悪くなる可能性があります。
お兄さん、お姉さん早く生まれた方をある程度立てなければだめです。下が上をバカにするような間柄では必ずきょうだい仲は悪くなると思います。
暗い話になってしまいましたが、僕が吃音、コミュ障を克服した状況を説明するのにこの話は必要でした。
ではまた!
毒親、毒妹について
僕には、父親と母親がいます。70台後半に入ろうかとしている人達ですが、世間の人達とうまくやることができないんです。
僕の嫁さんや嫁さんの実家とも、結婚式の当日から関係が悪くなりました。
詳しくは後述すると思います。
僕には妹が一人います。これも、人との付き合いがうまくなく、それでいてプライドは高いは性格は凶暴で、僕ら夫婦よりも何年も早くこどもを一人産んだのですが、それで偉そうにふんぞりかえるようになりました。
なんで、家族の話をブログにするかというと、この人達に話をしようとしても通じないからです。
いままでなんかいも直接話をしようとしても大げんかになります。
妹は結婚先の親とうまくいかなかったのか、だんなさんとうまくいかなかったのかしりませんが、離婚をし、娘一人つれて実家の親の元に来ております。
平成23年の東日本大震災のときからです。東京の葛飾に住んでいたのですが、東京には放射能が降ってくるから非難するとか言って静岡県富士市の実家に住み着くようになりました。
離婚したのはその何年も後の話です。
バイトで仕事をしているらしいのですが、当然稼ぎは少なく、親に全て面倒を見てもらっております。
僕は妹親子となるべく仲良くしなくてはいかん、と思い、妹の娘となるべく遊んでやるようにしていました。
まだ僕に子供がいない頃です。
なかなか仕事が忙しく、毎日は遊んでやれませんが、たまに実家に行ってあそんでやりました。
あるとき、僕が実家に行っても、妹の娘は僕を無視していました。(妹もこんな感じで誰に対してもプイッと向こうに行ってしまうときがあります。)プイッと向こうに行ってしまうということを何回も繰り返していました。小学校一年生の頃でした。
僕はこれはいかんなーと、挨拶はできるようにしなければいかんと、思い、妹の娘に会ったら挨拶はしよう、と言いました。そしたら妹の娘は泣きながら向こうに行ってしまいました。
なんだありゃ・・・と、思いながら、僕は家に帰りましたが、その夜、妹からすごい剣幕で電話がありました。
妹 妹に何を言ったの!!?
僕 いや、挨拶しようって言っただけだよ
妹 小学校一年生に挨拶できるわけがないじゃん!!!
僕 わかったわかった・・・汗汗汗
これでとりあえずは電話をきりましたが、僕の息子は3歳で気持ちの良い挨拶ができるんですよねー
妹の娘も、わけがわからなくなってきて、お母さんに言っちゃうから!!
とか僕に言うようになってきました。
わけがわからなく、もう限界になってきた僕は、もう放っておくことにしました。
あまり関わらないようにするようにしたんです。
僕の方も会っても挨拶もしないようになったのですが、それには妹は腹を立てていたのだと思います。だから挨拶は重要だと前から僕が言っていたのですが・・・だんだん態度が僕に対して攻撃的になってきました。
前述の通り、妹は
国民年金、生命保険、食事代、生活費、子供の塾代、子供の養育費全て親から出してもらっています。
だけど、妹は親にもふんぞり返っております。
当然僕にもです。僕が、たまに実家に行くと、親父と話をしているのを妹は奥でこっそり聞いていて、長く僕が実家にいると早く帰れと言ったり、ここは私の家です!残念でした!
とか言って殴りかかってきます。
僕はあまりにも呆気にとられて、妹が僕に殴りかかってきている状況を携帯のビデオに撮りました。
こうなる前には小さい頃からの親の育て方、と言うものがあるんですよね。
やはり育ちは重要です。
僕もかなり、コミュ障だったのですが、営業の仕事に精を出して、今ではすっかりコミュ障を克服しています。
こんな家族だから、僕の嫁さんもびっくりしているんですよ
何回この家族のお陰で離婚の危機になったのか・・・
また続きを書いていきます。
はじめまして!
ファイナンシャルプランナー兼コインランドリー経営のサノです。
このブログでは、金融商品の紹介や日常生活で感じたこと、日々の筋トレ、筋トレのためのサプリメント、プロテイン、減量等のことを記載していきたいと思います。
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